代表プロフィール
1971年 東京にて出生。
1994年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
所属ゼミナールは井田研究会(刑法理論)。不肖の弟子でして、卒論についても、就職組で免除扱いだったのをいいことに、「賭博の合法化」と題して、賭博罪周辺あたりについてを趣味的にまとめた状態でした。
課外活動のうち主なものとしては、卒業アルバム委員のひとりを務めておりました。ここの委員会は、資金集めから業者の選定まで学生がやるのが通例で、モノづくりのたのしさ、うまく回っている組織にいる心地よさを知りました。
1994年 日本電気(NEC)に入社。
パソコンを生産する事業部の、資材調達部門に配属となり、CPUやグラフィック・サウンド系半導体を扱っていました。「486主体で、Pentium90Mhzが出始めたころ」と言えば、なつかしく感じてくださる方もいらっしゃるかも。
なぜに配属直後から主力パーツを任されたのか、ふしぎに思う間もなく悪戦苦闘していたら、翌年には「Windows95」フィーバーで大増産、それが空振りで大減産、という資材担当者として泣くに泣けない痛い目に。
そして、「PC-98」の最期を間近で看取り、入社の目的を果たしたな、というところで、PC事業が傾いての事業再構築・海外生産シフト・全社的トラブル(防衛庁方面)などあった中で、2002年に退職。
2002年 執筆活動を本格化
以前から夢想し、会社生活の後半には余暇を投入していた「文筆業で身を立てること」に、本格的に注力。ただし、割と早い時期に、「心の底から湧きあがってくるような、本当に書きたいものはないのかも」という迷いにも到達してしまいました。
また、この時期には、視野を広げるためもあって、派遣社員として主にIT系の企業(オラクルさん、USENさん、富士ソフトさん)に短期勤務をしたり、エキストラとして「Good Luck!」(パイロット役)や「逮捕しちゃうぞ」(白バイ警官役)といったドラマにレギュラー的出演をしたり、そこから発展して広告モデルもやっていました。
広告モデルとしての代表作は、「養命酒」さんのテレビCM(全身)/「Willcom」さんのテレビCM(パーツモデル(手タレ)として)となります。
2007年 インデックスでの勤務を開始。
ごく短期の事務手伝い(業務委託)のはずが、いつの間にやら要件定義から基本・詳細設計レビュー、テスト仕様書作成までする、一気通貫・上流系なんちゃってSE(社員)に・・・・・・。鉄道系ポイントサービス構築プロジェクトや、自社開発のパッケージソフト構築プロジェクトに携わりました。
ここでは、元いた会社の鈍重に見えた組織体制にも一定の意味があったんだなあ、なんて実感を抱いたり、システム開発業界とメーカーでの、モノづくりに対する姿勢のあまりの違いに唖然としたり。
とある炎上プロジェクトでは、体調を崩したことも。なんだかんだで、2009年に退職しました。
2009年 アイオリア株式会社を設立。現在に至ります。
●代表者近影